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日本列島に稲が栽培されるようになったのは2000年ほど前からと言われている。私たちの祖先は2000年にわたり、この一年草の栽培植物の品種改良につとめてきた。その努力がむくわれ、日本列島のどこでも稲は実るようになった。農村の人々は、春のはじめに、田の神様に豊作を祈り、秋には、1年近くかかって育ててきた稲の収穫を喜び、田の神様に感謝をする。この年中行事が日本の祭りのもとになっている。稲の祭りには、古いままの田仕事のありさまがよく残っている。稲の祭りの中から日本人の伝統的な暮らしを発見することができる。 |
ぬき穂祭り 稲の収穫感謝は稲刈り前と、稲刈り後の2度に分けて行われる。まず、田からよく実った稲の一束を刈ってきて氏神様に供える。これを「穂かけ祭り」「ぬき穂祭り」と呼ぶ。稲刈り後に、脱穀したての白い米を農家の人々は神様に供え、その後、神様と農家の人々は分けあって一緒に食べる。 |
稲穂祭り 稲が実ると一束を刈って、氏神様にささげ感謝のしるしとする。この「穂かけ」は全国で見られる。 |
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田の神講(かんこう) 田んぼのあぜ道には石でできた田の神様がある。農家の人々は11月第一亥の日に田の神様に稲の収穫感謝をする。稲わらでつくった「つと」に小さい餅を12個入れ、田の神様の肩にかける。おじいさんが息子夫婦や孫たちを集め、田の神様に神酒をささげ、収穫のお礼をのべる。その夜には「田の神講」が行われる。近所の家が5〜6軒集まり、農業について話し合いをする講だ。田の神講の当番になった家は、講に参加している家から米を集め、餅をつき、ごちそうを用意する。床の間に木彫りの田の神様を飾り、供え物をする。来年の農業計画などの話し合いもおこなわれる。収穫の宴がはじまると田の神踊りをする。 |
あえのこと 田の神様のおかげでたくさんの米がとれたので、田の神様にごちそうをしなければならない。能登半島では、稲刈りがすんでから、田の神様を家の中に招いてもてなす「あえのこと」を行う。 |
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雪中田植 1月13〜15日は小正月である。農家の人々は年神様に豊作を祈って飾り物や供え物をつくる。年男は13日に餅を細かく刻んで白膠木(ぬるで)の木に刺し、餅花をつくり年棚に飾り、稲の豊作を祈る。 |
田植え踊り 雪の積もった農家の庭を、振り袖の着物を短く着た少女たちが飛び跳ねて踊る。両手に持った綾竹で冷たい風を切りながら「春よ、早く来い」と踊っている。少女の踊りがすむと大きな花笠をかぶった早乙女たちがあらわれる。その早乙女は女装した若者たちだ。手に持っている手ぬぐいは稲の苗のかわり。笛や鉦、太鼓に合わせて「田植え踊り」をはじめる。花笠をくるくる回し、にぎやかな田植え囃子が雪の庭に鳴り響く。宮城県では1〜2月に行われる田植え踊りの郷土芸能が数多くある。春を迎え豊作を願う行事だ。 |
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伊雑宮(いざわのみや)御田植祭 三重県磯部町 6月24日 神社で神様にお供えするお米は、神田(しんでん)で収穫した稲を使う。伊勢の皇大神宮の神田は磯部町の伊雑宮にある。それで磯部町の少年少女が「御田植え式」に奉仕する。田植えをする早乙女は12才から15才くらいまでの少女6人で、この日は神様に仕えるために、清らかにお化粧をして、白妙(しろたえ)の晴れ着姿で赤いたすきに赤いじゅばんの装いだ。早乙女に苗を渡す役の青年が6人、田舟にのって太鼓をたたく男の子に笛や鼓ではやし立てる青年たちも加わる。数え歌による鳥追いの鳥さし舞をしたり、のどかに美しく御田植え式がおこなわれる。 |
花田植 広島県千代田町壬生 6月上旬の日曜日 豊作を祈る祭りは、田の神様を迎えて、喜んでもらうために行う。水口に祭壇をこしらえて田の神様をお招きし、3束の苗を供える。牛の背に金の鞍をおき、のぼりや花傘をたてて、田んぼの真ん中にはいっていく。マンガという農具を牛に引かせて代かきをする。代かきが終わると70人もの早乙女(田植えをする女の人)が横一列に並び、竹でできた「ささら」の楽器をもった「さんばいさん」と呼ばれる指揮者のもとで田植えがはじまる。早乙女の後ろでは、大太鼓、笛、鉦など田楽をはやす若者たちがいる。田植え唄を歌いながら早乙女たちは苗を田にさしていく。田植え唄は辛い田仕事をわすれるための唄だ。 |
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